「青春とはなんだ」や「Gメン75」など数々のドラマで活躍された俳優・夏木陽介さんが2018年1月14日に死去されたことが明らかになりました。

 

1月19日に夏木陽介のブログで発表され、ネット上では悲しみの声や夏木陽介の人生を称える声が当たっています。

 

 

各種メディアによると、以下のように報じられています。

 

俳優夏木陽介さんが14日午前10時46分、腎細胞がんのため、都内の病院で死去した。81歳だった。19日未明、友人の作家で東北芸術工科大学教授の山川健一氏が、夏木さんの公式ブログで公表した。葬儀・告別式は親族だけで行う予定。

所属事務所によると、昨年10月に肺炎で入院した。すぐに回復したが、同11月末にリハビリのためストレッチなどをしていた時に体に力が入らなくなり、床に崩れ落ちた。病院で精密検査を受けた結果、胸椎のがんと判明し、そのまま入院した。

入院中は食事も普通にとることができ、見舞客には冗談を飛ばして会話をするなど元気な様子だった。キャンセルした仕事を気に掛け、「元気になって、早く仕事をしなければね」と話していた。年内にも退院できる見込みもあったが、同12月27日、突然意識を失い、集中治療室に入った。その後も意識が回復することはなく、今年1月14日に弟ら親族にみとられて息を引き取った。

出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180119-00103683-nksports-ent

 

そこで今回は、夏木陽介の死因は腎細胞がん?など、死因となってしまった病気についてや、夏木陽介の若いころの画像や経歴など、金持ちで愛車がすごかった!など気になるところを調査していきたいと思います!

スポンサーリンク
 

 

夏木陽介の死因は腎細胞がん?

14日に亡くなった夏木陽介は昨年の2017年8月9月ごろよりブログの更新をしておらず、ファンから心配の声が寄せられていました。

 

夏木陽介の死因は「腎細胞がん」だったそうです。夏木陽介は2009年に軽度の脳梗塞を患っており一度入院、その後2010年には腎臓で見つかった悪性腫瘍の摘出手術も受けており、ここ10年ほど病気と向き合っていらっしゃったそうです。

 

腎細胞がんとは、

腎細胞がんは、腎臓にできるがんのうち、腎実質の細胞ががん化して悪性腫瘍になったものです。同じ腎臓にできたがんでも、腎盂にある細胞ががん化したものは「腎盂がん」と呼ばれ、腎細胞がんとは区別されます。腎細胞がんと腎盂がんでは、がんの性質や治療法が異なるためです。ここでは、腎細胞がんについて解説します。なお、一般的に「腎がん」とは腎細胞がんのことをいいます。

腎細胞がん(腎盂を除く腎のがん)にかかる割合は、10万人に約6人です。がん全体のうちの約1%を占め、やや男性に多い傾向にあります。腎細胞がんは50歳ごろから増加し、70歳代まで高齢になるほど高くなります。

出典:https://ganjoho.jp/public/cancer/renal_cell/index.html

とのこと、高齢になるにつれて体も弱くなってくるので、仕方のないことなのかもしれませんね。

 

夏木陽介の画像や経歴

夏木陽介

出典:https://www.weblio.jp/content/%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%8D+%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%99%E3%81%91

 

本名:阿久沢 有(たもつ)

生年月日:1936年2月27日

没年月日:2018年1月14日(81歳没)

出生地:東京都八王子市

血液型 A型

ジャンル:俳優、ラリードライバー

活動期間 1958年~2018年

配偶者:なし

 

主な作品

映画

  • 『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』
  • 『秋立ちぬ』
  • 『用心棒』
  • 『どぶ鼠作戦』
  • 『なつかしき笛や太鼓』
  • 『ジェラシー・ゲーム』

テレビドラマ

  • 『青春とはなんだ』
  • 『Gメン’75』
  • 『スシ王子!』

 

夏木陽介は明治大学時代に、縁あって知り合った画家の中原淳一が発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」もモデルにスカウトされ、1958年に明治大学卒業後に東宝に入社されます。

 

そんな入社のきっかけを作ってくれた中原淳一に命名され「夏木陽介」という芸名で黒沢明監督の「用心棒」などに出演され俳優デビューされます。

1965年に教師を演じた日本テレビ系ドラマ「青春とはなんだ」に主演を務め人気を獲得し「学園ドラマ」のパイオニアとして活躍されます。1966年の映画「これが青春だ」も大ヒットを記録しました。

 

人気ドラマ「Gメン’75」や高倉健さんが主演した映画「海へ~See you~」など有名作にも数々出演し、夏木陽介が46歳の1982年から個人事務所「夏木プロダクション」で賀来千香子、西村和彦ら俳優も育成さています。

 

元々明治大学経営学部卒の夏木陽介はビジネスがやりたかったらしく、テレビ出演するのはあまり乗り気ではなかったそうです。ご自身でプロダクションも設立していますし、ビジネスセンスもあったんですね!

 

 

一方では「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも知られる主にアフリカ大陸で行われるパリ・ダカールラリーなどにも参戦していたラリードライバーとしても活動され、途中から俳優業をセーブするほど競技に打ち込んだパワフルな方です!

 

ダカールラリー

出典:http://gazoo.com/ilovecars/column_terada/161227.html

 

 

 

また、なんと夏木陽介は結婚されていません!今回の闘病生活で、床にふしている時に奥さんがいてくれないとやはり男性としては少し寂しいと思います。

 

ただ、夏木陽介は趣味に仕事に没頭し、充実した人生だったんだと思います!

スポンサーリンク
 

 

夏木陽介は金持ちで愛車がすごい!

そんなダカールラリーにも出場してしまうぐらいの夏木陽介は自動車好きとして有名で、免許取得後には、高級車・スーパーカーを中心に数百台は乗り換えているそうです!

 

そんな愛車遍歴がこちら!

  • メルセデス・ベンツ・300SL
  • ジャガー・SS100
  • ジャガー・Eタイプ2台
  • レクサス・SC430
  • ローバー・ミニ

 

ジャガーもさることながら、メルセデスのSLも現在は2000万ほどですが、当時は固定相場の時代で6,820ドルもしたそうです!1ドル360円なので250万ほどでしょうか!

 

メルセデスベンツ300SL

出典:http://jp.autoblog.com/2015/12/20/1954-mercedes-benz-300sl-sale/

 

当時の物価が中華そば30円。菓子パン10円。県立高校の月謝400円ほどだったので、現在でいう2500万ほどと少し割高といったところでしょう!当時のこの額はすごいですよね!

 

前述したように夏木陽介はラリードライバーとしても活躍しており、1985年・1986年にドライバーとしてダカール・ラリーに出場され、その後1987年~1993年までは「チーム三菱・シチズン夏木」の監督として篠塚建次郎・増岡浩らを出場させています。

 

監督としても活躍されており、自動車への愛が人一倍強かったんですね!

 

2017年の10月頃(ブログの更新が止まる前)までは自らハンドルを握ってドライブに行くほど元気だったそうですよ!ダカールラリーに出ていらっしゃるだけありますね!

 

まとめ

数々の映画やテレビドラマで昭和を代表する俳優として活躍され、ラリードライバーとしても活躍されるワイルドな生きざまに、私たちも勇気をもらえますよね!

 

今回は追悼の意味も込め、夏木陽介について調査してみました。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

スポンサーリンク